TO DOCTOR
医師・医療関係者のみなさまへ
TO DOCTOR
医師・医療関係者のみなさまへ
府医ニュース
2024年12月25日 第3094号
故中尾正俊・大阪府医師会長の急逝から2カ月――。府医は中尾家・東淀川区医師会とともに「故中尾正俊先生を偲ぶ会」を12月15日夕刻、大阪市内のホテルで執り行った。白い百合の花に囲まれて笑顔で写る中尾先生の遺影に、訪れた670人はそれぞれの想いを語りかけた。
中尾先生が選挙戦を制して府医の会長に就任したのは6月20日。陣頭で指揮を執られたのは実質3カ月だった。それでも、わずかな期間に自らの言葉で府医の運営方針を語り、組織のあり方を示した。そのリーダーシップ、行動力は関係者らの記憶に深く刻まれる。
偲ぶ会には日本医師会をはじめ全国の医師会長、郡市区等医師会長らが訪れた。また、地域医療の推進に生涯を捧げたと言っても過言ではない中尾先生らしく、行政関係者も多数参列した。場内には関係者や府医職員の姿も多く見られ、中尾先生との最後の別れを惜しんだ。
午後5時に式が始まり、まず黙祷が捧げられた。次いで、加納康至会長代行が追悼の辞を述べた。加納会長代行が訃報を聞いたのは10月17日。中尾先生が永眠された翌日、会議へ向かう途上の車内であった。入院から3週間の出来事で「何かの間違いだと思った」と振り返った。
中尾先生とは大学の1年後輩で、開業や医師会活動など「常に前を歩き、手本を示してくれた」と語った。平成22年からはともに役員として府医に参画した。中尾先生が地域医療関係で連日のように打ち合わせをしていた姿が印象に残っているとのことだった。
中尾先生が会長就任後に掲げた「4つの柱」は役職員が引き継ぐと力を込めた。人生100年時代に71歳での他界は早すぎると声を詰まらせながらも、中尾先生が描いた府医を目指し、「執行部が一丸となって取り組む」と誓った。
引き続き、松本吉郎・日医会長、茂松茂人・同副会長、岡村雅雄・神緑会(神戸大学医学部医学科同窓会)大阪支部長、羽生田俊・参議院議員よりお別れの言葉が述べられた。吉村洋文・大阪府知事、横山英幸・大阪市長からの弔詞が読み上げられ、主催者が謝辞。生前の写真が場内に映し出され、献花に移った。中尾先生の遺影に一輪の百合を手向け、数々の功績に感謝しつつ早世を悼んだ。
中尾先生との出会いは日本医師会の委員会だった。当時は常任理事で、中尾先生には副委員長として力を借りた。頼れる兄貴のようであった。中尾先生の座右の銘である「七転び八起き」を胸に医師会活動に邁進したい。
容態が悪いと知り、メールした際に「ACP」を考えていると返答があった。もっと早く体調の変化に気付いてあげたかった。申し訳ない。中尾先生の想いは次期執行部が引き継ぐ。安心して天国から見守ってほしい。
神緑会で府医会長就任を祝ったのが最後の姿となった。疲れた様子は見えたが気丈に振る舞っておられた。常に律儀で礼儀正しく、尊敬する先輩だった。忙しい合間の家族との話が嬉しそうで印象に残る。本当に残念だ。
遺影で微笑む写真は自身のニューズレター「羽生田だより」で撮影したものだ。ふと見せた笑顔が今も忘れられない。地域医療の議論をもっと続けたかった。先生の熱い想いは、後進が引き継ぎ、進めていくだろう。
主催者を代表し、遺族の中尾一浩氏が謝辞。偲ぶ会を通し生前の父の姿を改めて知ったと感謝した。また、小学生の頃「東淀川区医師会副会長に就任した」とはにかみながら語る姿を覚えていると述懐。父が大事にした診療所を守ると誓った。
同じく辻正純・東淀川区医師会長があいさつ。これだけ大きな規模の会にもかかわらず「いるべき人がいない」と悲しみを表した。辻・東淀川区医師会長もまた、中尾先生の想いを継ぎ、地域で医療・介護・福祉の連携推進に努めると結んだ。