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府医ニュース
2024年9月18日 第3084号
4年前のコロナ禍勃発時、「難波では外国人はマスクを付けていない」と書いたことがある。その時はまだ外国人と日本人の区別はついた。インバウンドが立ち上がりかけた頃で、珍しさのあまり爆買いとかいう風潮があった頃だ。当然服装も日本人とは少し違うファッションだったし、化粧法も異なっていた。あちらも珍しいが、こちらも珍しい初々しさがあった。
それ故外国人には挙動に微妙な遠慮があった。外国人と日本人の区別ができる変な能力が自分にあったと自負していた。通勤時には、毎日向かってくる人の顔を見ざるを得ない。改札の前など360度どこから人がぶつかるか分からず、俊敏なフットワークと顔認証が必要とされるのである。あまり役に立ちそうもない能力が、地下街を歩くたび培われた。
アーリア系やラテン系、そしてアフリカ系はすぐに分かるが、昨今の韓国、中国系の観光客は、もはや判断不可能に近い。大きなボストンバッグと歩き方のみが、唯一の判断材料だ。考えてみれば私をはじめ日本人のルーツも、アジアのどこか分からない科学的データが出つつあって、アジア系外国人も日本に来て、「これは何だ! 自分と同じ奴が山ほどいるではないか」と思っているに違いない。
コロナ明けの今年に至っては、恐ろしいほど日本人と区別が付かない外国人が、次から次へと押し寄せている。いや、それすら分からない。多分彼らは日本が好きなのだろう。日本人が日本人と区別が付かないというのは居心地につながり、その後長く日本に居住する機会が多くなるのは自明の理だ。公表されている技能研修で入国する外国人の何倍もの不法就労が、大阪の都会でドンドン増えてると確信できる。国家的にインバウンド歓迎の風潮を背景に、少子化を憂うよりも前に、気付かないうちに外国人が日本人になる方が早いのではないか。不法就労にしても労働分の収益に対する税金を雇い主が収めるので、厳格に取り締まる風潮はないだろう。御堂筋線は、その風をまともに受けている。
ヨーロッパのように外国人排斥運動が起きにくいのは、日本の外国人数が少ないことが一番の理由だが、顔の区別がつかないということもあるだろう。外国人の概念が薄まっていくと、少々人種が違っても許容される。ただ問題は不況時だ。経済が膨張している間はウェルカムだが、不況になると逆回転するのが常だ。1500年の浪速の歴史は、このような葛藤をすでに文化性に織り込んでいるのだろうか。5世紀の難波津に佇む私であった。(晴)