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新春対談
府医ニュース
2024年1月3日 第3059号
昨年は、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で日本が「14年ぶり」に世界一となった。阪神タイガースは、「18年ぶり」にセ・リーグを制覇し、「38年ぶり」に日本一に。日本シリーズはパ・リーグ覇者のオリックス・バファローズと「59年ぶり」の関西ダービーとなり、野球が大いに盛り上がった。今年の新春対談は、令和3年に惜しまれながら16年の現役生活にピリオドを打ち、現在は阪神タイガースコミュニティアンバサダーを務める岩田稔氏を招いた。岩田氏は1型糖尿病を患いながらも厳しいプロ野球の世界に身を置き、現在は事業を立ち上げて1型糖尿病の啓発に力を入れている。自らの体験や今後の展望を語ってもらった。(司会:大平真司理事)
大阪府守口市出身・昭和58年生まれ。平成17年の大学生・社会人ドラフト希望枠で阪神タイガースに入団。投手。左投左打。阪神タイガース時代は、先発投手としての役割を果たすことが多く、チームの中心的な投手として多くの試合で登板。緻密なピッチングで頼りにされる存在として、多くのファンから支持を得た。通算200試合に登板し60勝82敗。令和3年を最後に16年間の現役生活に幕を下ろす。現在は株式会社Family Design M 代表取締役として1型糖尿病啓発活動に取り組む。
大阪市出身・昭和26年生まれ。52年大阪大学医学部卒業。同大学医学部附属病院第2内科医員、ハーバード大学 ダナファーバー癌研究所研究員、市立池田病院内科部長などを経て、平成5年に豊中市で高井内科を開設。16年12月から26年6月まで府医理事(20年4月から22年3月までは除く)、26年6月から令和4年8月まで府医副会長を務め、9月1日より第17代府医会長に就任。趣味はアマチュア無線。
大平 明けましておめでとうございます。広報担当の大平です。司会を務めさせていただきます。本日は、大阪府医ニュース新年号の特別企画として、岩田稔・元阪神タイガース投手、高井康之・大阪府医師会長の対談を企画いたしました。野球界の展望はもちろん、1型糖尿病啓発活動への思いなども伺いたいと思っています。よろしくお願いいたします。
岩田・高井 明けましておめでとうございます。
大平 まずは、新春対談ということで府医ニュースの恒例企画となります。年末年始の過ごし方やお雑煮の具材などを教えてください。
岩田 現役時代も同じですが、1型糖尿病患者のクリスマス会やイベントに参加していました。雑煮の味は、うーん、あまり意識していないです(笑)。でも、おもちは好きでぜんざいとかも食べていますね。
高井 私は白味噌の雑煮ですね。年末年始は比較的ゆっくり過ごしています。
大平 岩田さんは平成18年から令和3年まで、実に16年も厳しいプロ野球の世界に身を置いておられました。まずは、野球と出会ったきっかけを教えてください。
岩田 3つ上に兄がいるのですが、父親とよくキャッチボールをしていて、私も加わりたいと思ったのが興味を持ったきっかけです。「まだ早い」と言われ、ひたすら壁当てをしていました。幼稚園の頃ですね。気が付けば野球にはまっていて、小学校1年生の時にチームに入りました。
高井 私はチームには入っていませんが、小学生の頃はよく野球をしていました。守備はあまり自信がないですが、バッティングは得意でしたね。当時はON全盛で読売ジャイアンツのファンでしたが、大学の頃に西宮に住んでいたこともあって、甲子園に行く機会が増えてそこからは阪神ファンです。
岩田 父が熊本の出身で、私もずっと巨人ファンでした。
高井 縁があって阪神に。岩田さんのご出身の関西大学といえば、村山実さんを思い出します。
岩田 目標でしたね。背番号も「11」を希望したのですが、永久欠番と言われて(笑)。村山さんを超えたいという願いも込めて「21」を選ばせてもらいました。
大平 名門・大阪桐蔭高校で2年生の秋からエースとしてご活躍されていましたが、その頃に1型糖尿病と診断されたんですね。高校野球で甲子園出場はかなわなかったですが、関西大学を経て、プロ野球選手として見事甲子園登板を果たされました。
岩田 甲子園まであと一歩というところで発症しました。とにかく体が動かなかった。3年生の時は怪我もあり、マウンドに上がることなく終わってしまいました。その頃、社会人野球へと進路が決まっていたのですが、内定をいただいていた企業から病気を理由に取り消されるという経験をしました。すごくショックでした。見返したいとの思いも強く、大学に進学して地力をつけようと思いました。大学4年の時でしたが、その企業と試合する機会がありました。
高井 当然、燃えたでしょう?
岩田 はい。今までで一番のピッチングができました。それとなく父に伝えていて、試合結果を報告したのですが、なぜかこと細かく知っていて。後で分かったのですが、仕事を休んで観戦していたとのことでした。その試合が評価され、阪神タイガースに入団することになりました。
高井 1型糖尿病と診断されても、早期に治療を受けることは非常に大切です。とはいえ、体調もすぐれなかったと思います。どのようにしてモチベーションを保ったのですか?
岩田 ビル・ガリクソンの本に勇気付けられました。自分でもできると思えました。また、医師の言葉もたいへんありがたかったです。あと、大村詠一さんの存在ですね。
高井 エアロビック競技のですか?
岩田 そうです。年は少し下なのですが、1型糖尿病で同じ熊本出身で。ニュースで彼の特集を見て、ふと「会いたいな」って言ったんです。すると両親が親戚中を当たってくれて、会うことができました。彼からはポジティブな気持ちをたくさんもらいました。
大平 恩師の言葉なんかもあったのですか?
岩田 入院中なんですが、野球部の西谷浩一監督が練習を終えて夜の10時頃に病院に来てくれるんですね。面会時間はとっくに終わっていると思うのですが。その度にダンベルを持ってきて、徐々に重量を増やしたり。グローブやボールも持ってこられました。野球を忘れるなというメッセージをいただきました。
大平 高校生の頃に発症され、そこからプロ野球の世界に入り、現在まで一貫して1型糖尿病の啓発活動を続けておられます。
岩田 タイガースは注目度の高い球団で、活躍すれば1型糖尿病の認知度も上げられる。入団会見でも「希望の星になりたい」と宣言しました。ですが、1・2年は何もできませんでした。
高井 3年目に10勝を挙げ、大車輪の活躍をされました。覚えています。
岩田 スポーツ選手は注目度が高く、基金への寄付や子ども達を甲子園に招待することもできました。プロ野球選手のオフは2カ月くらいしかないんですね。自主トレも非常に重要なのですが、啓発活動が忙しくてトレーニングの時間があまり取れませんでした。今はオンラインサロンや講演などを通して啓発活動に努めています。球団からコミュニティアンバサダーという役職もいただき、協力いただいています。
大平 昨年の日本シリーズは、59年ぶりの「関西ダービー」で特に関西が盛り上がりました。
岩田 おもしろかったですね。オリックスは主力が故障で苦しみながらもあれだけ強かった。さすがパ・リーグ3連覇のチームだと思いました。近年まれにみる好ゲームだったのではないでしょうか。
高井 本当に素晴らしい対戦でした。
岩田 両チームとも将来のビジョンを明確にしてドラフトで選手を獲得している。生え抜きがメインで価値がありますね。特に阪神のレギュラーは皆若く、黄金時代の到来を予感させます。
高井 岩田さんにはそんな素晴らしいチームのコーチへと打診がありました。
岩田 ありがたいお話だったのですが、今はお断りさせていただきました。引退して2年、1型糖尿病の啓発活動がようやく形になってきました。いろいろな方の協力を得て進めてきたのですが、コーチに就任すれば、事業がストップしてしまう。中途半端は嫌だなという気持ちが強くて。自分がいなくても事業が回るくらいになれば、その時はもう一度考えたいです。
高井 いつか阪神タイガースのユニフォームを着て、後進の指導にあたる姿も見てみたいものです。当面は糖尿病啓発に力を入れられるとのことなので、我々と思いは同じです。府医では、平成17年に「大阪府糖尿病対策会議」を立ち上げ、21年からは学会や医会などとも連携し、「大阪糖尿病対策推進会議」として、さらに踏み込んで糖尿病対策に取り組んでいます。また、健診受診を呼びかけるとともに、重症化予防アドバイザーを選任し、専門の医療機関などとも連携して糖尿病の啓発、あるいは重症化予防に取り組んでいます。岩田さんの活動と重なる点もありますので、互いに協力できるようなことがあればいいなと思っています。来年には大阪・関西万博も開催されますし、「健康都市おおさか」を目指して盛り上げたいですね。
大平 昨年の野球界はWBCでの世界一という嬉しいニュースから始まりました。岩田さんも平成21年に同じく世界一の称号を手にされていますが、阪神の縦縞と日の丸は違うものですか?
岩田 違いはありました。日本代表という経験が初めてで、ずっとフワフワして落ち着かなかったです。テレビで見ていた日本人メジャーリーガーも同じチームにいて、現実とは思えなかったです。また声援がすごくてプレッシャーもありました。
高井 甲子園も地鳴りのような歓声や時にはヤジもすごいでしょう。
岩田 今回の日本シリーズを球場で見ていたのですが、地鳴りのような声援で、WBCを思い出しました。当時、韓国戦で投げることが多かったのですが、ヤジがすごかったですね。言葉は分かりませんが。
高井 チームメートや他球団の方からアドバイスなどもあるのですか?
岩田 チーム内外での助言もありますよ。私はソフトバンクや巨人で活躍された杉内俊哉(現読売ジャイアンツ投手チーフコーチ)さんと自主トレをしていました。
大平 特に仲の良い選手とかはいらっしゃったのですか?
岩田 年の近い先発ピッチャーとは結構ご飯に行ったりしていましたね。
高井 食事にも気を使うことも多いでしょう。今は栄養士の奥様がしっかりと支えられていると思います。
岩田 おいしい料理を作ってもらい感謝しています。球団のサポートも大きかったなと思います。遠征などで地方に行くと、試合後に夕食を取ると午後11時とかになるんですね。だいたいの店は閉まっていて、開いているのは焼肉屋か居酒屋くらい。みんなよく食べますので、だからプロ野球選手は体が大きくなるんだと妙に納得していました。自分は量を控えていましたし、あまり積極的に飲みに行くことはなかったです。
高井 プロ野球選手は体が資本ですから。
岩田 現役の時は体へのメンテナンスは人一倍気にしていました。球団にもトレーナーはいるのですが、大勢を見なくてはいけないので、私は個人的にトレーナーを雇っていました。
大平 医師や医療への期待などはありますか?
岩田 治療費の負担が大きいので、何とかならないかなと思います。
高井 確かにインスリン治療は高額です。若い方は3割負担なのでなおさらですね。経済界を中心にさらに患者負担を増やそうとする動きもあり、断固反対していかなければならないと思っています。
岩田 治療費が高くて受診できない方もいます。
高井 受診されないと我々も最善の治療ができません。非常に大きな問題です。
岩田 改革が必要ですね。
高井 現役の時はインスリンの量や食事などにも注意はされていましたか?
岩田 細かくコントロールしていました。先発の時は血糖値を上げて臨んだ方が良いと助言を受けていたこともありました。ところが、試合に入ると、アドレナリンが出てインスリンが効かないんですね。自分は立ち上がりが悪いって言われてて、思い起こすと高血糖だったんだなと。なので、少し低めの100~150くらいでコントロールすると、アドレナリンが出ても200いかないくらいで。そうすると、立ち上がりもスムーズになりました。低血糖気味だと脱力する分、力感がなくなってバッターがタイミングを外す。これは面白いと思いました。僕にしかできない戦術ですね。
高井 イニング数によってコントロールされたりもしていましたか?
岩田 球数が増えると疲労感が出てきます。ボールのスピードも回転数も落ちてくるのですが、逆にその落ちてくるタイミングでさらにギアを上げることができれば勝てるんだと。そのために血糖をいかに上げないかということを課題にしていました。
高井 速球と変化球を組み立てて打者を抑えていたイメージがあります。
岩田 キャッチャーがいろいろ考えてくれていました。真ん中近辺でも岩田さんのボールだったら勝手に動くから大丈夫ですよ、みたいな。ストレートでも微妙に変化してるんですよね。バッターは打ちにくかったようです。
大平 ほかに医療に望むことなどがあればお願いします。
岩田 研究が進んでいるとは思いますが、早く治る病気になってほしい。患者数も多いですし。
高井 2型糖尿病と1型糖尿病は全然違うものだという認識が一般の方にはあまりないですね。生活習慣とは関係ないのに、差別的な捉え方をされることもあります。そうした偏見をなくすためには、発信力のある方からのメッセージが大事です。適切に治療していれば、岩田さんのようにプロ野球選手としても活躍できる。身をもって示している岩田さんの活動は本当に意義が深いと思います。これからも継続してほしいです。
岩田 みんな希望を持って生活してもらいたいですし、人生楽しんで笑いながら生活できるような環境が整えられたら一番いいなと思います。「やらなしゃあない」を軸にしっかり活動していきたいと思っています。
大平 本日は貴重なお時間を頂戴し、ありがとうございました。
岩田・高井 ありがとうございました。