TO DOCTOR
医師・医療関係者のみなさまへ
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ミミズクの小窓
府医ニュース
2016年6月29日 第2788号
「慢性疼痛」は3カ月以上持続する痛みを主訴とし、症状に見合うような所見に乏しい、鎮痛剤をはじめとする薬物療法が効きにくい、などの特徴がある。なかでも「慢性腰痛」は高齢者で有病率が高く、薬剤の副作用も懸念されることから認知行動療法などにも期待が高まっている。
最近、「マインドフルネス瞑想」による認知行動療法が慢性腰痛に対して一定の効果があるとする論文が散見される(JAMA Intern Med:Feb22,2016,Pain Med:Mar10,2016, JAMA:Mar22/29, 2016)。日本マインドフルネス学会の定義によれば、マインドフルネス瞑想とは"今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること"であり、ある海外論文の表現を借りれば"気付きを高め、身体的な不快や辛く苦しい感情を含む、その瞬間、その瞬間ごとの体験を受容することに集中する"となる。この手法は古代仏教に端を発するらしい。確かに身体所見で説明できない慢性疼痛が"意識における痛みの認知"と不可分である以上、このようなアプローチは検討する価値があるだろう。
以下やや脱線する(言われる前に言っておくが、いつものことである)。"評価せずに、ただあるがままに観る"というのはエトムント・グスタフ・アルブレヒト・フッサール(このようにやたら長いフル・ネームを書くときは、ほとんどの場合こけおどしである)を思い起こさせる。彼の現象学では、客観的実在を"括弧にいれて"すなわち判断を中止して(これを"エポケー"と言う)直観的意味を捉える。そこに普遍的な本質が立ち現れるのだそうだ。
"森の哲学者"たるミミズクはそれにとどまらない。括弧にいれて立ち現れた本質を更に括弧にいれて、判断中止ならぬ判断消滅という無の境地に達する。「それは単なる思考停止、ただ"ポケー"としているだけじゃないか」とおっしゃる方、鋭い。だがなんでも鋭ければ良いというものではない。
無の境地から現実に戻る。米国医療研究品質局(AHRQ)の報告書「Noninvasive Treatments for Low Back Pain」(Feb. 2016)によれば、実に様々な治療が試みられているが、疼痛減弱効果は十分ではなく、機能回復効果は更に劣る。慢性腰痛のマインドフルネス療法の実践のみならず、臨床研究の評価においてもまた"とらわれのない"立ち位置で"あるがままに観る"ことが重要なのだろう。しかしこれがまた難しいんだよな~。