TO DOCTOR
医師・医療関係者のみなさまへ

ミミズクの小窓 Returns

〝基準範囲〟の誤読予防閾値

府医ニュース

2014年8月27日 第2722号

 突然だが、ミミズクである。お待たせである。えっ、誰も待っていなかったって? まだ生きていたのか、って? とにかく森から帰還した。森の神に追放されたのである。楽園追放、すなわち失楽園である。「えっ、そんな人だとは思わなかった!!」とおっしゃる方、誤解である。渡辺淳一先生ではなくミルトンである。「えっ、消毒の話?!」とおっしゃる方、感染対策意識高過ぎ、文学的素養無さ過ぎである。次亜塩素酸Naではなくジョン・ミルトンである。
 最初から話が逸れてしまった。平成26年4月に人間ドック学会と健康保険組合連合会が「新たな健診の基本検査の基準範囲」なるものを公表し、一部のマスコミの〝曲解した報道〟が火に油を注いだこともあって、関連学会の反発を招いたことは記憶に新しい。そろそろ鎮静化してきたかな、と思いきや、7月に高久史麿・日本医学会会長、松原謙二・日本医師会副会長が「基準範囲」と「予防医学的閾値としての臨床判断値」が全く異なることを改めて強調した。国民の誤解と医療現場の混乱いまだ収束せず、という判断である。
 人間ドック学会も基準範囲に対しての逆風を感じてか、早い段階で取材を受けた某週刊誌の〝著しく歪曲した報道〟に強く抗議している。しかし、この「週刊○○」という雑誌に一度でも目を通したら、否、目を通さなくても新聞や電車の吊広告の目次だけ見ても、どんな報道になるかは分かりそうなものだ。だいたい〝超健康人〟の中に血圧や脂質が多少高い人がいることは何も驚くに値しない。だから「基準範囲」に対するコメントを10字以内で要約すれば「それがどうした」であろう。
 元来、書かれたもの、すなわち「テクスト」というものは、作者の所有物でさえなく、いかようにも誤読され得る。ミミズクが言っているのではなく、かのロラン・バルト先生がそうおっしゃっている。「お前にロラン・バルトが分かるのか」という方、無茶を言ってはいけない。バルトが分かるのなら医者なんぞやっていない。だが、記述されたものが誤読されるのは事実である。文学作品など、誤読が当たり前である。だからこそ、学術論文には投稿に際しての細かい規定があり、再現検証可能性や批評可能性を担保し、誤読の可能性を最小限にしているのだ。
 「150万人のメガスタディー」だの「スーパーノーマル」だの、これらの表現の背後にあるのは「皆で基準範囲を話題にして!」という無意識的なメッセージである。むやみにカタカナとか横文字を使うのはウケ狙いである。このミミズクが言うのだから間違いない。このような場合、誤読される閾値は恐ろしく低くなる。
 生活習慣病の管理に重要視すべきものが〝予防医学的閾値〟だとすれば、学術団体のメッセージで重要視すべきものは〝誤読予防閾値〟、それをいかに高く保つかである。それがAcademicということではないか。

 本コラムは前編集委員の「(梟)」氏が執筆します。