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勤務医の窓
府医ニュース
2014年5月28日 第2713号
毎日、自動車通勤をしていると、何でもない交通安全の標語が身にしみてくる。40~50代の事故率が一番低いとかいうどこかの宣伝の通りになっているのかもしれない。しかし車間距離をあけても、広い前方には他の車が押し入ることが多い。車間距離を保つということと、他の車の割り込みを許すということは別物である。車間距離をあけていても、つい他の車が割り込まないように適当な距離を保つか、横から割り込もうとする車に体を張って入れさせないようにしてしまう。
ある朝、長い待列をすいすいと左手に見ながら、車列の切れ目を探していた。ところがその日に限って切れ目がないのだ。だんだんと焦ってきた。このままでは、前方から迫りくる緩衝帯に激突する。ちょうど大型トラックの後ろにあいたスペースに入ろうとしたら、左から意地悪な中型トラックが体を張って邪魔をしてきた。車線を明け渡すまいと、後ろから狙ってきたのだ。彼はちゃんと列を待っていたのだが、使い古したようなトラックで少々ぶつけても平気なほどである。やむを得ず急停止した。危ないやないか!
後日、私は左車線を走っていた。衝突未遂に懲りたからである。偶然同じ曲がり角で、私の前で体を張っていた車が、割り込もうとした車に側面衝突した現場に居合わせた。その時初めて私の頭の中で、車間距離を広げようという言葉と、割り込ませないという言葉が分解したのだ。実は私もその場では、横から割り込む車を体を張って阻止していたのである。しかしよく考えると、車の前方の道路は、誰の物でもない公共の道路なのである。にも関わらず、つい自分の領地と思ってしまう心が誰にでもある。絶対に割り込ませないと思っていく自分が恐い。
次の日の朝、車に乗り込む時、『他の車が前に割り込んできても許してあげる』という決意をした。そうすると通勤途中が心安くすぎたことに、再び気がついたのである。しかしこんなこと、もう何十年も繰り返している。バカじゃないか?いつもいつも決意したのに、許容の心が薄れていくのである。我々は機械的に許容の心を再確認しないかぎり、車に乗り込んでいると気がつかないほどゆっくりと、闘争心逞しい戦士に変質していくのである。
大阪南医療センター 内分泌代謝内科医長 幸原 晴彦 ――1258